幸せに生きる,楽しく生きる,深く生きるを模索しているお父さんライターの「やべっち」
どうもはじめまして、やべっちです。
2020年12月、おかげさまでこのブログは月間10000アクセスをいただけるまでに成長して参りまして、これも一重に読者様の支えがあってこそでございます。
でもって、「やべっち」って誰?ってことでちょっと長くなる(かもしれません)が、自己紹介をしますので、どうぞお付き合いください。
東京在住の会社員で、ブログなどの執筆業もしている兼業ライターです。
平成生まれ、2人の男の子の父親です。
昔は、自己表現として音楽もやっていたけれど、最近の余暇?はもっぱら執筆に専念しています。
生まれた時に死にかけた、奇跡的に蘇生!
僕は生まれた時に心臓が5秒に1回しかなっていなかったそうです。
「お母さん、この子、ダメかもしれない…」という産科医の言葉が忘れられない…と母が言っていました。
が、救急車で運ばれた先の病院で、ラッキーなことに蘇生して、まあなんとか命をつないだってわけですね。
いやはや、ありがたい。
その後はスクスクと?成長して、なんだか「空想好き」で工作やらお絵かきやら、そういうことに熱中する少年時代を過ごしていたような気がします。
小学3年生の時に「スイミー」っていう国語の教科書に載ってる物語を題材にしたポスターが、市主催の展覧会に選出されたのがなんだか思い出になってます
ちなみに、このころ「読書感想文」が大っ嫌いで、本当に文章を読んだり書いたりするのが苦手な少年でした。
高校受験まで「国語嫌い」は引きずってましたね。
根っからの「理系」だったんでしょうか…。
家族の思い出がほとんどない中高生時代
中学生で「吹奏楽部」に入って、毎日女の子に囲まれて(男の子が自分以外いなかったので)なんだか辛いな…という思い出もありつつ、音楽に熱中しましていました。
「合奏・アンサンブル」っていう、演奏が楽しくてしょうがなかったのですね。
高校時代も吹奏楽部に入って、勉強そっちのけで活動に明け暮れ、担任の先生には呆れられ…。
まあ、楽しく(つらく)打ち込めることがあってよかったですよね。
高校時代の恩師(吹奏楽部の顧問で指揮者の先生)が、音楽のプロフェッショナルで「観客の前で演奏するとはどういうことか」というのを、かなり叩き込まれました。
そのころから、ストイックな性格が着いたのかもしれませんね。
そのころ?いや、中学生?もう覚えていないですけど、これくらいの頃から「家族」との思い出が全くない。
なんだか両親の関係が不穏だったのは覚えています。
(不穏だったのは、もっと昔かもしれません…)
ただ、そういう「両親の不仲」に対して敏感になり、そんな現実から逃げられる場所が「本気で打ち込める音楽」だったのかな、と振り返ればそう思います。
高校で部活動を引退してからは、受験勉強に打ち込みました。
やっぱり「両親・家族」という問題から、目をそらしていたのかもしれません。
抜け出したかったんだよね、きっと。
で、大学生になれたわけ。
「音楽」という表現活動で悩み、葛藤し、泣き、笑った青春時代
大学では新しいことにチャレンジしようと思っていたけど、なんだかんだで吹奏楽団に引き込まれて入団。
僕の通っていた大学には、吹奏楽団と管弦楽団(オーケストラ)の両方があったのだけれど、たまたま練習見学に行った日が火曜日か金曜日かで、オーケストラはお休み、吹奏楽は活動日。
そんなこんなで、あれよあれよと吹奏楽へとどっぷりつかった大学生活でした。
このころの僕の人間関係って、なんだか不思議で、色々な人たちを引き寄せた(いや、引き寄せられた?)のですね。
出身中学校に遊びに行ったら、たまたま練習を教えてくれていた(当時)大学生のかなりぶっ飛んだ人と出会い、大学以外でも音楽活動をしていました。
そこで触発され、僕は「指揮者」という人間を目指すことに。
演奏会で、楽団に向かって棒を振り回している人ね。
大学3年生の時には、自分の通っていた大学の吹奏楽団の指揮者になって、すっごく大きなホールで演奏しました。
そんな演奏に向けて、仲間と一緒に笑い、泣き、一人で悩み、葛藤し…、誰かに支えられ…。
そんな時期が、僕の「何かを発信したい」という原体験になっているんだと思います。
いろいろありましたが、いまは何とか2人の男の子の父親をやりながら、毎日頑張って生きているわけです。
さいごに:やべっちから
まさか、「読書感想文」が大嫌いだった僕が、ここまで「書くこと」に熱中するとは思っていませんでした。
不思議なものですね。。。
そんな、やべっち、どうぞこれからも応援よろしくお願いします!!